格安スキップ西安行き
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あとがき

あとがき
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貧乏な旅をして体験したサービスの悪さに、僕は文句や意見を言いたいわけではない。
むしろ逆である。
おかしな事に、サービスというサービスが全く行われないことに、僕は最大級のサービスを感じていた。
これを説明するのは難しい。

確かに僕はこの旅で衝撃を受けてしまった。
しかしそれは予期していなかったものだ。いつもの目にしている景色とはまったく異なった現実があるということを、突然目の前につきつけられ、考える間もなくそれを体験してしまった。
私はその結果、通常なら感じたであろう嫌悪感や怒りやら同情やらそのたもろもろを、あまり感じることなく過ごした。
感じたのは開放感がほとんどだった。

サービスが過剰であれば、それを受ける側にさえ、そのサービスを受ける為のある種の条件やら規定やらを要求され、またそのサービスを期待してそれが無かった場合の無用ないらだちなど、逆に息苦しさを感じたりすることは、サービス過剰大国日本では多々感じる方は多いのではなかろうか。

もちろん、共産圏のあまりにサービス精神の欠落した対応には、確かに面食らうものがある。無愛想におつりを投げ返しにこりともしないあれなどだ。

しかしそういうものだと慣れてしまうと、これがとても解放的なのだ。(僕がかなり特殊な精神状態であったのだろう)
そして僕は、普段いつも自分につきまとっていた社会意識なるものがどんどんはがれ落ちていき、心持ちが解放されるのを感じていたのだ。
これは貴重な経験だったといえよう。もちろんこれが日本のサービス精神よりも良いなどと言ってるわけではない。おかしなことに、日本で中国のそれと同じような態度をされると、なぜか腹が立ってしまうのだ。どうなってるんだ?と心の中で思うわけである。
いいかげんなものである。

我々のような旅行者でなく、他の硬座の一般乗客とて、このような劣悪な条件の旅を望んでしているはずはない。そこにはどうしてもああいう状況にならざるを得ない理由をそれぞれにもっているはずなのだ。
それは出稼ぎであり、格差であり、リストラであり、社会の混乱であり、急激な経済成長のしわ寄せなのである。
そういった状況に身を置くと、いちいちサービスがどうのと言う気が失せてしまうものなのかも知れない。
あの旅から約8年後にこれを書いている今は、それを感じる。僕が彼らに何か意見を言いたいはずなどないのである。

おわり