砂の上の愚か者たち
fools on the sand
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後編
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・・・前回までのあらすじ・・・
敦煌まで行く無法タクシーに乗った、中国人学生のシと、たそがれ清兵伊と僕。
数時間後、敦煌に降り立った僕は、とりあえずシの予約しているホテルへと
ついて行く事にしたのだった。
前編はこちら
地図
1
シの予約しているホテルはすぐに見つかった。
そこは、この砂の街にありながら巨大な近代ビルであり、
エレベーターがあり、
床も壁もピカピカの一流ホテルだった。
(僕が今まで泊まったホテルはすべて階段しかなかった)
おいおい、シってお金持ち?
彼の都会のマンションのような奇麗な部屋で
お金の力を歴然と見せられた後、
シの付き添いで、今度は僕の宿を見つけに出た。
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2
どうしても、ドミトリー(共同部屋)がいいのだと、
情報誌にあった一番安い宿に行ってみた。
しかし、シいわく、
ここのホテルはセキュリティーが悪く危険だと言った。
中国の学生にさえ危険視される宿って・・・。
確かに彼の高級ホテルとは雲泥の差のボロホテル。
セキュリティーなど皆無だろう。
でも僕は安ければよかったのだ。
それでもシは僕の身を心配してくれるのだった。
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しかし、もう安宿にどっぷりと浸かっていた僕は、
彼の忠告も耳に入れなかった。
でも、どうも情報誌が間違っていたようで、
ホテルの受付のおばさんは、ドミトリーなどないと言うのだった。
しかし僕は、部屋はあるのにきっと隠しているのだと思い込み、
とにかく安い部屋をしつこく要求し続けた。
呆れたシが中国語で話に入ってくれ、
この日本人は阿呆だ、といったような困った顔をしたおばさんは、
ついには僕の要求を飲み、恐らく企画外の
馬小屋みたいな部屋へと案内してくれたのだった。
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後日、悲惨な運命を共にするこの部屋に案内されると、
その部屋は、恐らく日頃、誰も使っていないだろうといった、
悲惨な香りがたち込めていた。
鉄で出来た監獄のようなドア、
広い空間に、薄汚れたダブルベッドが意味もなく2つも配置してある。
しかし、それがよく見えない。
なぜなら、この部屋には
"
電灯がない "
のだ。
窓から入る光で、うっすら気持ち悪さだけが伝わる。
シがさらに危険を忠告するも、寝られればいいと、
ついにこの部屋に決めてしまった。
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3
さて、ともかく荷物を放り出してから
シとご飯を食べて、元気で!と別れた。
僕はその後、一眠りして、夕方近くのバス停から
鳴砂山という観光名所へと行ってみる事にした。
そこは美しい砂丘であり、
砂の音が響くのが聞こえるのだという。
バスで15分程?で鳴砂山へ到着し、
露店の前を通り、砂丘の前に憮然と設けられた
でかい関所の門の前へと歩いた。
ここでは、砂丘に入るのに、なぜか100元札
(約1700円、ただし日本で言うところの一万円札と同じレベルの札)
という法外なお金を要求されるのだ。
考えれば分かるのだが、いくら美しいとはいえ、ここはただの砂漠だ。
自然の砂漠に足を踏み入れるのに、一体誰にお金を要求されるのだろう。
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4
貧乏旅行者の噂では、どこかに抜け道があるという事なのだが。
門の左右には柵と防風林が設けられ、この砂丘に行くには
チケットを買って関所を通るしかないように画策されてる。
100元・・、て安宿の何泊分の料金だ?
だがまてよ。
フェンスがあるといえども、ここは巨大な砂漠。
いくらなんでも、砂漠を囲えるフェンスなど作れるはずがなかろう。
そう睨んだ僕は、
とにかくフェンスが尽きるとこまで行く事を決意した。
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そうして、僕はこの辺境の地で1人、他の観光客を尻目に、
ジーパンのまま東へ東へと走り出した。
もちろん周りはひとっこ1人いない。
見とれよ〜、すでに敵に勝った気の勢いで、
でぼこぼこの砂地を駆けたのでした。
しかし、敵はそう甘くなかった。
いけどもいけども、フェンス(もちろん上にはとげとげつき)が尽きない。
どんどんさっきの門から遠ざかる。
ああ、何やってんだぼくは・・。
急にバカらしくなって、もとの入口へと踵を返したのでした。
あっさり中国共産党に敗北。
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5
あきらめて関所前まで戻ってきたが、
やはり100元という値段はでかい。
入るのを躊躇していて、ふと西の方を見た。
小さな民家の庭(といっても柵で囲われた荒れ地)で、
馬やらラクダが放されていた。
その馬たちが、庭から砂丘へと普通に出入りするのが見えた。
「えっ?」
その庭の柵は、さっきの門から続くフェンスの延長上である。
よく見てみると、そこだけ柵が小さく開いているのだ。
なんだこれ・・。
庭自体はもちろん他人の家。
でも知らんふりして、ふらふらと入れない事もない。
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それで馬と"同化作戦"を決行。
何気ないふりを装い
恐る恐るそこを通り、開いた柵へ向った。
内心、捕まりそうで緊張したが、
でもあっさり入れてしまったのでした。
ただ後からチケットの半券を要求されそうで
しばらく恐かった。
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6
ようやく隔離された砂丘へと足を踏み入れた僕は、
みんなが目指して歩く、砂丘の頂上へと向った。
斜面を歩いていると
前に歩いていたアジア人の女の子が、写真を撮ってくれと声をかけてきた。
めずらしく"英語" である。
彼女に記念写真を撮ってあげて、頂上へ一緒に登った。
その子は台湾からの学生バックパッカーであり、
その旅行中の惨憺たる経験を
「オーマイガー」と表現してくれた。
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関所の抜け道の話になり、
もちろん彼女は100元を払ってきたわけであるが、
僕がうまくすり抜けた事を話すと彼女は
「オーマイガー」と言って羨ましがった。
さて、砂丘の上まで登ると、そこにはさらに広大な砂漠が広がっており、
さっきの関所がやはり、
かなりのレベルでうさんくさく思える程なのであった。
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驚くのがこの砂。
汗でべとべとな体にも関わらず、砂に手を埋めこんでも
一粒も皮膚にまとわりつかない程さらさらである。
ちょっと信じられなかった。
台湾の子はもちろん「オーマイガー」と感嘆した。
しかし言葉などその程度で十分なのだ。
僕らはその砂丘の頂きに座り、夕暮れの砂丘を飽きるまで眺めた。
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7
太陽が沈みぼちぼちと辺りが暗くなり始めた。
空にはたくさんの星が光だし、
いつの間にか、辺りにラクダや観光客はほとんどいなくなってしまった。
遠くに見える関所の方に、
まばらな観光客の小さな姿が見えるだけだった。
しかし、このとき僕のテンションは最高調であり、
よし僕はこのまま朝まで、この砂丘で眠るのだぞ!
と、その台湾の女の子に公言してしまった。
それはきっと面白いわ、彼女はそう言って
グッバイと僕を残して斜面を下って行った。
その彼女の輪郭もぼんやりした後ろ姿を見ながら、
それでも僕は実に、いい旅人気分だった。
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7
あれだけ暑かった空気も、徐々にひんやりとしたものに変わってくる。
まわりを見ると、広大な砂丘の山々が永遠と
暗闇の中へとフェードアウトしていた。
台湾の子の後ろ姿がだいぶ小さくなってしまった。
急に辺りがしんとするのを感じた。
関所の門は閉まるのだろうか。
考えてみれば、水しか持ってきていないな・・。
このまま朝まで何時間も1人でここで砂に埋まっているのか・・。
もしかして
なんかやばくないか?・・・
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急速にさっきのテンションが下がりはじめた。
夜に味わうかもしれない苦痛が脳裏に浮かび始めた。
めちゃ寒かったりして・・。
お腹も減る。
夜中に帰りたくなっても帰りようがない・・。
まずい、やっぱり、かなりまずい・・。
今ならまだ間に合う。
僕は、さっきの決意をあっさり撤回し、
すくっと立ち上がった。
そうしてもう暗くて、ほとんど見えない足下に注意しながら
砂丘の斜面を、粒くらい小さくなった彼女の背中を追いかけて
急いで下って行ったのでした。
僕は二度と振り返らず、
そこに、永遠と広がる砂丘を残したままに。
2012/2完
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