2009年4月、僕はユーロ圏への一人旅を試みるべく、格安飛行機に搭乗した。 北京での乗り換えを利用して、懐かしの中国へ立ちよる事にしたのだったが・・・。 |
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これは前触れに過ぎなかった。
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北京/夜10:00時。 ロビーの古くさいソファーに、抜け殻の様に体を埋め、頭の中でぐるぐると景色が回るのに任せながら 僕は安堵感と共に今日一日を思い返していた・・・。 |
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1: 飛行機。 AirChaina・・・。 窓から見えるウイングが頼りなさげに見える。ポキッと折れたらさよならだ・・。 飛行機の予想外の小ささと、旧式のガタガタするシートテーブルの頼りなさが、さらにエアチャイナに対する偏見を増す。 飛行力学に対する不信感とチャイナのもの作りに対する不信感が相まって事故の妄想が止まらなくなる。 僕は日頃の体たらくな生活を冷や汗をかきながら悔い改める。 重症だ・・。 |
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次第に客室乗務員さん達が僕の唯一の心の支えとなっていく。プロの彼、彼女達の顔が引きつったときが、すなわち死の宣告だ・・。 僕は涼しげな顔の乗務員さん達をメシアとして仰ぎ続けた。 |
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:2 6年ぶりの中国。 北京の地を踏むのは初めてだ。 貧乏旅行の哲学を盲目的に信じていた私は 空港から市内までの移動を 日本円でたった50円程度の差額の為に 地下鉄でなくバスを選び、2時間近くの時間ロスを余儀なくした。 だが空港バス乗り場で期待通り全く日本語も英語も通じず、 中国語のマシンガンを受けながらこれが中国だよ! などとよろこんでいた僕は、それが「時間のロス」だったことに そのときはまったく気づく由もなかった。 僕はこれから予約の宿を探さなければならないのだ。 |
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..................................................... 貧乏旅行を理解できない読者に少し補足。ホテルなんて専用のリムジンバスに乗るか、タクシーで住所を告げるかすればいいのではないのか?そもそもホテルを探すとはどういうこと?とおっしゃる方もいるかも知れない。 しかし貧乏旅行者はまずお金で便利を購入してはならんのである。当然旅行代理店などは間に入れない。タクシーなど緊急時以外は決して使用しないのだ。でも今日がまさに緊急時だったとは。 ..................................................... |
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:3 予約した安宿のユースホステルを探すには 当然明るい時間が有利であるが、 渋滞に巻き込まれ、北京駅に着いたのは すでに日が落ちかかった頃である。 しまったな、などと思って急ぎ足でバスを降りた矢先、 例のバイタクのおっさん達の猛烈客引きアピールに ハッとしてしまう。 飛行機ですっかりVIPな旅行者気分に陥っていた僕は ついそのままの緩い気分で突然、駅バス乗り場という チャイナのローカルな地区に転がり出てしまったのだ。 |
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とにかく「歩くこと」に執着していた私は、 しつこくアピールしてくるおやじ達の相手はせず、 ずいずいと歩いていった。 しかしこのおやじが予想外に執念深く、裕に200メートルくらいわーわーといいながらついてくるのだった。 そうしてようやく、 「こいつ駄目だよ・・」といった感じで彼らが諦めた頃、私はあろうことか自分がどこに立っているのかまったく分からなくなってしまったのである。 これは完全に計算外であった。 北京駅を目印に、予約の宿を探すはずだった僕は 駅の場所を確かめる事なく歩き出しており、 今さらバス停にもどって、また勧誘にあうのも面倒くさく、しかたなくデタラメに歩き出すはめになってしまった。 |
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:4 なんとかなるだろう。 そう思いながら重いリュックを背負ってアホみたいに歩き続けてすでに三時間が経過した。 町は夜の喧噪につつまれている。 肉体疲労もさることながら、春なのに冷たい突風の吹き荒れる北京の寒さが辛い。 その間路上でほんものの乱闘を三度見た。三度だ。 だがそんなバイオレンスな乱痴気騒ぎにも気を止める余裕がなかった。 早く予約した宿を見つけて座りたいのだ、お腹も減ってきた・・。 |
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しかしなんぜなんだ・・。 持っている地図の場所を何度歩いても 宿のあるはずの所は、どう見ても廃墟ビルしかない。 突然引っ越したのか?あるいは騙されたのか? 道行く学生に聞きまくった。 彼らは英語で話しかけると、とてもやさしかった。 とにかく真剣に丁寧にそして自身を持って、 見当違いな方向を教えてくれた。 |
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:5 地図が幾分アバウトなこともあるだろうと 私はさらにその周辺を歩き続けた。 だが周辺には宿の痕跡すら見当たらなかった。 駄目だ・・初日から野宿かも・・。 いや、寒すぎる・・。 ふと横の通りを見ると遥かさきまで薄暗い路地が延々と続いているのが見えた。 こんなとこまで探す勇気と体力はない。 大体地図にはすぐここに宿があると描いてあるんだ! |
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そのとき、ラフな格好の比較的若い白人女性観光客ら数人が、 ちょうどその暗い通りを横切るのが目に入った。 俺は逃すものかと全速力で彼女らに走りよって、こう言った。 「た、助けてくれ!」 「この辺に安宿があるはずなんだーよー!」 すると彼女らの中の一人が、明らかに何も考えずに 発言していると思われる無関心さをかもし出しながら、 間の抜けたようにこう言い放った。 「わったしたちフラーンスからキタの〜! わかっりませ〜ん!」 僕はその一人をまったく完全に無視し これだ・・と彼女らの顔先に例のよれて しわくちゃの地図を突きつけてみせた。 私の顔が余りにも真剣だったのだろう、 彼女らは最初のおちゃらけた態度を改め、 真剣に考えてくれた。 そして、たぶんこの先に そういった宿があるかも知れない、と言った。 とにかくこの暗闇の先に何かしらの宿がある。 行くしかなかった。 |
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かくして宿はあった。 予約した安宿だった。 宿の光が見えた時、 心から救われたと思った・・。 結論からいうと 持っていた地図はデタラメだった。 印がある場所から数百メートルも路地を入った所に 宿はあったのだ。 アバウトではすまない距離である。 さらに予約も取れていない状態だった・・。 僕はしばらくフロントのソファーに倒れたまま 動く事ができなかった。 これが黙示録、第一日目である。 おわり |
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あとがき 一体どうしてあんな地図を手にしたのか結局わからない。見つかったのは奇跡的だとおもう。宿の住所が漢字で書かれてあればもっと方法もあっただろうが、すべてローマ字表記であった。ローマ字を誰が理解できる?宿に着いた後、部屋の事でひと悶着あり、さらに疲労した身を引きずって食事を取りに再び外へ出たのであったが、レストランのウェイターの若者とのやり取りが面白く、(北京ほどの都会でも、中国語を解せず英語を喋るアジア人が珍しいと思う若者もいたのだ)その出会いが一日の疲れを癒してくれたのであった。 |
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