わくせいひつじの
独り言
わくせいひつじ08番/top 
2016



最終段階までしぼんでしまったふうせんちゃんは、せつなさを
通り越して、グロテスクなまでに無惨でした。

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何年か前に無人のレジに違和感を覚えたことを書いた。
今では何も感じなくなった。
でもスーパーに哲学があってもよいだろう。
このレジを積極的に使おう。
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とある縁でバルーンをつくった。
最初はまるまるとしていた風船ちゃんが、
だんだんとしぼんでいく様が
なんだか切ないような気がしてくるのです。


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20年前から彷徨っている脳内のもやを
整理する事を諦めようとした午後、
初めて踏み入れた整然としたカフェのカウンターで
鉄板に焼かれたエッグとその熱気に顔を火照らした。
そして一年前の日記に飼い犬が脱走した事が書かれてあるのを見た。
わずか一年で世界は変わる。

左脳が悪いのだ。僕を救い出すのは右脳なのだ。
出来なかったのではなく、やらなかった。
そして、それはやらなくても良かった事なのだ。

僕は読みかけの本を置いて、ウッディーなカウンターの心地よい感触とエチオピア産のフレンチプレスで作ってもらった薄めの甘い香りの珈琲を感じ取る。
その瞬間確かに僕はアンドロメダの鎖から解放されていたのである。

ああ、健治よ。
そうだ、僕はもうすぐ君を超えようとしている。

jan 6
2015
何かが致命的に変わっている。
でもそれに気づくのは、まだ先の事である。

半年ぶりの更新。今、何月だっけと一瞬思った。
それでこれ。色と形と安さにひかれ古道具屋で購入。
タッパーのくせにへんな形状。タッパーなので元々蓋があったに違いない。

12/5
気分転換に郊外型新興町にあるT屋へ向かった。
他のどの選択肢も気が進まず、車が走りだした方向がそちらだった。
気分が沈みがちなうえ、郊外型の町の空気がそれを助長する。

レンタルのコーナーには踏み入れない。カードの期限は切れている。
CDコーナーに一人も人がいない。いや僕がいた。
この行き場のない空気がたまらなく嫌だった事を思い出した。

きて、5分で帰るのもなと、
併設のSコーヒーでも冷やかしてやろうかと思った。
しかし、予想以上にここは繁盛しているのだ。
そして、これも郊外型の特徴なのだろう。
オープンカフェが駐車場にあるのもたまらないけど、
座っている黒いサングラスをかけたギャル風の子育てママが
視界に入ると僕は踵を返し車に戻る。
こんな日もある。

高校の頃、ここは田んぼだった。

7/9
少し遠いが気になっている珈琲ショップへ行くことにした。

目的地について、車を駐車しているとき、
ちょうど二人組の女子大生風の女の子が
お店へと小走りに向かっていた。
なぜ小走りかというと
雨がざあざあと降っているのである。

僕は傘をさしてその建物へと向かう。
併設されてる本屋へ先に入ってうろうろと立ち読みしたものの、
やはりそわそわして早めに珈琲屋へと入店した。

小さなお店で、先に注文するスタイルだった。
珈琲とベーグルのサンドを注文した。
店内は四人がけのテーブルがすべてうまっていた。
客をはっきりと把握する事は出来なかった。
唯一空いた一人席に座ると、目の前には先ほどの駐車場が見える窓が広がる。

車が入り、そして出て行く。車から降りた人たちは
車から降りると、みんな一様に小走りにお店へとかけてやってきて、
そして車に戻っていく。
雨にぬれないようにしているのだ。
駐車大劇場である。

そんな小走りの人の姿はなんだかかわいかった。
たまにむっつりあるく人もいたが、傘をさす人は一人もいない。
そんなのをぼんやりと眺めていた。

店内が見えない席は好きではない。
でも木製の小さいテーブルとスツールが案外
居心地がよい。
ゆっくりイラストを描ける雰囲気がある。
でも最初の時点でもうイラストを集中して描く事は諦めた。

トイレに行くときに、それとなく店内を観察した。
家族連れのテーブルの脇に雑誌が置いてあったけれど、
読むのはやめておいた。

珈琲とサンドイッチを平らげた。
その間、何組かお店を出て行く。
このまま、駐車場を観劇するかと思ったけれど、
珈琲を早いペースで飲んでしまうと、
荷物をまとめ、僕にしては早々と椅子から立ち上がる。


7/4
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15年前に訪れた場所に遭遇した。

ぶらぶらと歩いているとふいに、
前にここにきた事を思い出した。
一度だけしか来ていないのでよく覚えていた。

そのときは友人が何人か一緒だった。
今は一人だ。

風景がまるで変わっていない。
時間だけがすっとんで僕だけがそこに置かれたのだ。
そんな気がした。

ほんのかすかにその頃の余韻というのか、
ある種の感情を感じ取る事ができた。

そしてすぐ消えてわからなくなった。

それは幾分、どこか希望を含んだような前向きなものだった。
未知なる変化の予兆。そういうタイプの空気だ。

そういえば、そんな気持ちをここ数年まったく感じていない事に
気がついた。


覚えてるそれは、四年ほど前か。
そしてやはりそれも、予兆だけで終わりをつげた。
2014
昭和still arive
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
11/19
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
真夜中のパン屋さん、まあ七時半だけど。

またハーメルンの笛吹きよろしく、あの悩殺メロディーにつかまってしまったわけで。
その音の鳴る方へ近づくと、その車はあった。


出没場所不明なこのメルヘンのパン、これは中に乗り込んで買うタイプの車だった。中ではメルヘンチックではない普通のおやじがパンを売ってくれた。

ここで僕は、このパン屋の出没情報をマップにしてみることにした。
ほぼ更新されないだろうけど。
これ→共有マップ

子供の頃近所に来てたやつは、大型バスのタイプで、中に乗り込むと左右にぱんが陳列していたのだ。あれを今度見つけてみたい。現役であれば。

その運転手のお兄さんは半透明のグラサンをかけていて、ぱんを買いに来た子供に買った合計を計算をさせる鬼のような人だった。子供はみな緊張を強いられたわけ。
あれから30年近くだ。

メルヘンのホームページ


11/13

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ねぎ特需あっさり終了。
この満たされることのない、繰り返すポリリズムは一体どうすればよいのか。

11/12
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ネギッコばっかり聞いている。
妙にせつなくて良い曲じゃないか!

それより、数ヶ月ぶりにホームページを更新したら、
一日のページ来客数が普段の17倍になっている。
一体何があった?

だって、ねぎって書いただけでよ。

このねぎっこ特需を逃す術はあるまい。
ねぎねぎっと。
いや、田島さんの方か?
もしかして、妄想鉄のほうだったり。
まあいい。

11/5

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
くだらない過去など忘れて。
それだけが、生き延びて行ける術。

珈琲エンゲル係数大、
そして妄想鉄見習い。
そしてnegicco。
ねぎねぎ。なにそれ?知らない?
僕知らなかった。
田島貴男プロデュース曲。
すいません、全然チェックしてなかった。

出だし、ギターバッキング、ストリングスの使い、
やっぱいきなり田島さんだ。
なのに、若い娘が歌うのが、こりゃ今までにないや。
そして小西さんプロデュースの方は完全にピチカートだ。

11/3
夏の終わり2014
葉が落ちる
似顔絵を描いてもらった
咳が出続けた。
デジタルミュージアムでカルト団体に捕まりそうになった。ていうか捕まった。


そういう夏。2014

もうちょっと何かしようか。2014
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映画を見る代わりに、買ってきた植物たち。
名前聞くのわすれたな。
とにかく、こいつらが僕の乾いた部屋を
いやしてくれるはずだ、きっと。
だって七月だよ。
おりおり。

とにかく、なんとか元の自分に戻ってきた。
胃腸の調子も良くなってきたので
珈琲ももちろん。
ただ、代理にミロを投入している。
おいしくって強くなる。

足をまた軽くねん挫中。

july 19
思い出の場所がなくなることは、
確かに悲しいことなんだけど、
これだけ泣けるのだから、まったく分けが分からない。

いや、場所そのものはあるのだから、
別にすべてが消失してしまったわけでなはいのだから、
どうしてどうして。

そうだ、すべてが消えていれば、それほどでもあるまい。
中途半端に、変わっている事が実に切ないのだ。


雷ドカーン、ごろごろ、びびび。雷発生装置(※)。
いやあ、泣けた泣けた。
あれがもう聴けない。という事よりも、恐らく
一緒に聴いた人たちがもうここに居なくなっているその事実が
一番胸にこたえることだということ。
そして、この事を自分一人で耐えなければいけない、
そのこと。

どうでも良い事が実によく思い出される、堰を切ったように
流れて来る。

なんでこんな事をいちいち書くのかというと、
よくわからない。
そうだ、みんなに知ってもらいたいのだ、
雷はもう落ちないのだということを。
それがあった事を知らない子供たちがいるのだということを。そこで遊んでいた子供たちが居たのだということを。
実につまらない装置を見に来て、喜んでいたことを。


※岡山市児童会館のプラネタリウム内の以前あった科学施設の
雷実験装置。

4/26
2013↓

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

地獄の大王ショップ、イオンの自動買い物レジを体験して、わけが分からなくなった。

無人のガソリンスタンドや無人駅から電車に乗るのとは次元が
違う違和感を覚えた。
僕は一体誰に品物の対価を支払っているのだろうか。
恐らく、食べ物くらい人間から買いたい、
そういう生理反応なんだろう。
では自販機はどうなのか。よくわからない。


まあ、ここで買い物をする事も、そうないだろうけど。

FCナイトvol.1
2013


pm10:00〜Kai珈琲

pm11:00〜映像上映

am2:30〜FCナイト

  スパルタンX
  スーパーマリオ
  ギャラガ
  アイスクライマー
  ドラゴンクエスト2
名前わすれた
   他  

am8:30 解散

はやくも、暮れ行く年・・・


ルーリードが死んだ。

ルーリードが歌う気怠く不穏で都会の匂いのする
トランスフォーマーを
僕は受験生だった時分、繰り返し聞き
その世界は僕の頭の中に巨大な洞穴を作ってしまった。
現実か非現実か分からないような、その世界は、誰とも共有されようもなかった。

そういう世界を現実に生きたかった。
雪が降る山陰地方に試験を受けにいくときも
サテライトオブラブが頭で鳴っていた。
試験は不合格だった。
それは電車からその街に降りたときから分かっていた。
死んだ街だと思った。


大学に入った頃もまだ、その世界の中につかったままだった。
周りは何も変わらない。
そしてすべてまがい物で安っぽく、低俗に見えた。
以前として脳内に作り上げられた、創造の世界だけが本物だった。
ただルーリードがそのとき、まだ生きているかどうか、考えもしなかった。

物流センターにアルバイトに原付で向かいながら、
ウォークマンでその音楽をかけ続けた。
街はどこでもない、ニューヨークのような60年代末のようでもない、
どこでもない街だった。
工場は、ファクトリーではなかった。
僕はただここでないどこかを望んだ。
結局、何処にもない場所にたどり着くことはなかった。
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数年後、雲南省の奥地、
世界遺産、麗江の街の薄汚い宿屋。
中庭で朝の光を浴びていた僕は、
その宿の主人に、
これを掛けてくれと、CDを手渡した。

胡弓のアンビエントな音楽が、
町中に響いているその街の宿から、
突如、西洋の場違いな、それも30年くらい前の
ロックミュージックが流れ出した。

それは前日に街のブートCD屋で買ったベルベッツのファーストだった。
宿のおやじはさっぱり理解出来ないといったふうな顔をした。
そばにいた、友達は、トランスミュージックを期待していたようでがっかりしたかに見えた。
その空気に耐えられず、
僕は一曲が終わると、CDをデッキから取り出した。

そのとき、古い夢は現実より少し、色あせてしまった事に気がついた。



13/10/29


絵を描いていない。
人物を描きたくなくなったのが大きい。
6月頃描いた、都市の絵も途中で放棄して、
完成ということにしている。

何年か前だけど、僕が絵の中に描いていた想像上の人が、僕の目の前に現れた。最初はその事に気がつかなかったが、後から考えるとその人は確かにかつて、僕の絵の中に描かれた人なのだった。
衝撃だった。


実際に生きている人を目の前にすると、
絵など、ただの紙切れにすぎないのだ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
枕の掃除


夏は夜。

 月の頃はさらなり。
 闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。

 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。
 雨など降るもをかし。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ポンポコ村のたぬき合戦


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
沈黙
気狂い
月桂樹
ゴーガン

我々は何者か。我々はどこからきたのか、など

庵違った土こっさ
中国さ

24june