広州の陸橋

不可解をめぐる考察記
       
       
1.序

まずは4年前に書いていた文章を読んでもらおう。
これはある陸橋についての文章である。
一体誰が、陸橋などに興味がある?



・・・2009-2010年の散文

特に気を止めずにいた記憶の断片が、ふと湧き出るように頭に浮かんで、
それが一体何であったのか、どうしても知りたいとかられる時がある。

それはたいてい無理に眠ろうとする夜。
7年前の夏、中国の香港に隣接する大都市、広州で見た、というより
渡ったある「陸橋」のことがその一つである。
その記憶が浮かんできたのは、
まだその旅の記憶が、
今よりもずっと鮮明だった頃ことだ。

別にそれは、感傷的なたぐいのことではない。
それは単に一つの風景の話で。
それもなぜかひどく色褪せた風景なのである。

そして今ではもう思い出す事も少なくなった。・・・


この時点で、すでに大半を忘れてしまっているわけなのだが、
それでもなんとか思い出して、その陸橋の描写を試みているのが
次の文章。


2.陸橋

それはとても古い陸橋だった。ビルとビルの間に渡してあり、
大勢の人が行きかう小さな陸橋だ。
そして、そこに僕は立っていた。
僕の記憶では、そこは何もかもが褐色で古ぼけている。
今より何十年も昔に感じられる程。
そういうわけで、タイムスリップしたわけでもないのだから、
それはひどく非現実的な風景なのだ。

何度思い返しても不可解でならない。
というよりそれが、実際はどんな景色だったのか
確かめたくてならなくなったわけだ。
その場所に居たときは、何ら疑問にも感じずに、
それがごく当たり前の景色として、脳の片隅にしまわれる程度の風景だったのに。

しかし、なぜ広州の陸橋なのだろう。
他の街でも陸橋は渡ったはずなのに。
良くわからないものだ。


3.サーチ

実はこの陸橋を、インターネットを駆使して、探しまわったのだが、
結局見つけることは出来なかった。
でもその近場らしき風景の写真はいくつか見つけることが出来た。
しかし、肝心の陸橋の風景はどうしても分からなかった。
それでもなんだか街の雰囲気が少し判明して、
(この街の写真は一枚も撮っていなかった)
結構満足してしまったのだろう。
いつの間にかそれについて考えなくなった。
それに、実際それがどんな陸橋だったのか、良くわからないのだから。

なぜこの陸橋にそんなにこだわるのか、それは上に記した程度のことで、
自分でもよくわからない。
恐らくそのときの自分の頭の中があまりに、トリップしてしまっており、(何かいろんなものを吸った後遺症だろうか)とにかく夢のように感じられることが起因している気がする。それでも12年も経ってしまった今ではそんな感覚すら無くなってしまった。

だが、先日手に入れたある本に、この街の陸橋が写っているのを見つけた。
違うと思うが、何となく僕の渡った陸橋に似ている気がするのだった。
それでこの話を一応完結すべく、再び書き始めた。
最初に書いてから、さらに4年経ってしまった。
ますます、キオクがいい加減になっているはずである。

では、この陸橋に行き着く前後の旅行記を読んでもらおう。


4.旅行記

2002年9月下旬。
僕は昆明という内陸の町から長距離列車で広州へと移動していた。
広州は東シナ海沿岸近くの古都で、すぐ近くにある香港によってみようと思ったからだ。

列車での移動時間は約33時間。
普通座席での移動である。
列車の話はもう、何度も書いているので
ここに改めて記すこともないだろう。
こりもせず、僕は寝台でなく普通座席で一昼夜を越す選択をした。
ただ、僕の座席の隣は、偶然乗り合わせた日本人の男子学生だった。
名前は忘れた。ワーキングホリデーで海外に一年近くいて、帰りに旅行している
という話だった。

彼は村上春樹を愛読しており、旅行に数冊持参していた。
(記憶ではなんと重いハードカバーであった)
車内では、僕はもはや外の景色も全く珍しくなくなるという贅沢病に掛かってしまっていて、とてもひまだった。
そういうわけで、僕は彼が持参してきた本の一つを貸してもらい、読み始めた。

それにしても、他に33時間も一体どう過ごしたのか、
ほとんど覚えていない。
ただ夜中に見た、隣で寝ていた彼のあんぐりと大きく開けた口だけは覚えている。


広州駅に着く。
ひどく雨が降る朝だった。


彼の泊まりたい、YMCAを探しに僕らは雨の中、
カッパをかぶって
重いリュックを背負って、街を歩いた。
早朝の街は、雨のせいもあってひどく青白い色だったのを覚えている。
ずいぶん歩き回ったがホテルは見つからなかった。

駅前で困っている僕ら、というか困っている彼に客引きのおばさんが声をかけてきた。

YMCAを知っているということでそのおばさんについて、
傾斜のある駅裏通りを、あちこちで工事が行われているビルを縫って、
ひたすら歩くが結局おばさんはYMCAのことなど全然知らなかったことが判明した。
まあこの手のパターンは僕はすっかり慣れてしまっている。
でも彼は怒り始めそのおばさんをひどく罵った。
どうも彼は中国にあまり慣れていなかったようだ。
まだ子供みたいな歳の青年に怒られ
少し驚いた顔をしたおばさんに僕は同情してしまった。

いつのまにか雨は上がった。
結局YMCAは駅の真横のビルの中だということが、判明した。

荷物を置いた僕らは昼飯を求めて明るく日がさす駅前を歩いた。
途中で映画を撮る為のネタを探しにきているという、
良くわからない日本人青年に遭遇した。
その人と三人でご飯を食べた。

その後僕は彼らと別れ、香港まで行くため、
市内バスに乗って、広州東駅まで行った。



5.考察


とくになんてことはなく、全くスムーズに旅程が(旅程などないが)
進められたわけだが、一体どこで問題の陸橋を歩いたのか分からない。
恐らく、バス停に行く途中に歩いたはずなので、駅前であることは推察出来る。

それでは最初に調べてみたいくつかの写真をお借りして
ここに提示してみよう。


nom.1


photo from Flickr taken by neville mars

これは2004年に撮られた広州駅前。
僕が行ったときから2年後の写真である。
雨もふっていることだし、なんとなく当時の雰囲気を感じさせてくれる。
駅前は馬鹿みたいに広いのだ。



nom.2

photo from Flickr taken by neville mars

この写真は駅前から高速道路を挟んで作られている巨大な陸橋。
僕が行ったときにこれがあったかどうかは分からないが、
僕のキオクの陸橋ではないことは確かだ。
しかしこの雰囲気は僕のキオクをかなり的確に刺激してくれた。


nom.3

photo from Flickr taken by amanderson2
これは僕の4年前のキオクではなんとなくイメージに
近いのではないかと思った写真である。
しかし、ここまで古い時代のものではなかったし、
陸橋自体は屈強な石作りのものでもなかった、そしてもっと大きかったのだ。
似ているのは褐色の色や陸橋したの青空マーケットやビルの薄汚れた雰囲気である。

nom.4

最後に最近見つけた1980年頃の写真である。

中国鉄道の旅 中国鉄道出版社より

これが撮られたのは30年以上前であるし、僕が行ったときにもあった陸橋と
同時代に作られたものである可能性は高い。
この写真では、中国はまだ今のような経済発展がなされていない時であるし、
猥雑でごった煮な街の雰囲気は感じられない。
にもかかわらず、恐らく建て替えられていない時代を感じる古いビルや
埃っぽく人がうじゃうじゃというところはかなり似ている。


一番よいのは、飛行機でもう一度ここに実際に
確かめにくればよかったのだろうけど。
なんとなく、自分自身で旅のキオクと実際の距離を埋めることをこばんでいたのかもしれない。
きっとそうだ。


jan 2014